Silver Sword

FF14の記憶置き場(FF14画像はスクエアエニックス帰属)

【サブキャラ】クリスタルの残光

※この記事にはパッチ5.3漆黒編の内容が含まれています。

ネタバレには十分ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サブキャラのウリエンジェことトリウィアの漆黒メインがほぼ終わりました。

ここまでの道のりがメインキャラの振り返りと言う意味もあって時間をかけて進めていましたが、何せFF14は新パッチがあろうがなかろうが意外とやる事が多いので他キャラの育成が進みませんw

トリウィアに関しては漆黒入りしてからどれくらいの時間がかかったか…。

まだ暁月入りもしてない状態ですが、一応区切りとして帝国入り前まで進めました。

 後半進めるにつれて感じたことは、第一世界の人たちは強い人が多いなと言う印象です。

罪食いの脅威にされされながらもそれぞれの営みはあって、とりわけ支え合いながらの生活風景が多く見受けられたような気がします。

アム・アレーンで罪食い化するであろう患者に寄り添い、いつか来るその日まで献身的に支えながら生活する人たち…。

クリスタリウムと言う場所で仕事に励み、新たな命を授かる人…。

罪食い化から逃れるためにバウスリーの庇護のもと生活する人たち…。

種族こそ原初世界と似た種族が多いけれど、生活形態はかなり異なっているように思いました。

それと水晶公を「おじいちゃん」と呼ぶライナ…彼女は水晶公と共に歩んできただけに、一番可哀想な別れ方をしたんじゃないかと感じます。

 第一世界に写真と言う文化があればライナが結婚して子供が生まれた時、ヒカセンがその写真を水晶公…グ・ラハ・ティアに見せてあげて欲しいなぁ(*´ω`)

本当の意味で「おじいちゃん」になる瞬間のグ・ラハの反応が見てみたい!

 

 種族・年齢・性別・時代、これらに関わらず大なり小なり「願い」はあって「救い」がある。

ただしこの「救い」が願いに沿ったものかと言われればリアルな話そんな簡単な物じゃないですよね。

行動しても己が望んだ結果に結びつくとは限らないし、エメトセルクらアシエンが願った結果が違う形で「救い」となったように、最初の希望とはまた違う形な事もある訳です。

また「願い」を口にするかも人によって違うし、ランジートなんかがいい例でしょうね。

口では言わないけどその「願い」が「行動」として現れた訳です。

不器用と言うか何と言うか、他者から見れば分かり難いなあとw

結果的にランジートの「願い」は違う形で叶ってるんですよね。

リーンはランジートが思っている以上に強い子だったし、彼女がリーンと言う名を貰う前からサンクレッドが彼女を大事に守っていた。

二人のお父さんと言う意味では確かにランジートもリーンのお父さん的な存在だったのは言うまでもないですね。

この「願い」は戦いが終わった後も各々の心にあるんですが、ドゥリア婦人が一番分かりやすい。

アルフィノを自分の息子のように大切に思っているし愛してたんだと思う。

彼を画家として雇ったときは多分ぱっと見「可愛い男の子」と言う漠然とした感じだったと思うけど、彼が使命を以て戦いに挑んでいる姿を見て次第に母親的な目線で見ていたんだろうなと思います。

怪我をしていないか、今何処で何をしているのか、ちゃんと食べて寝ているだろうか…。

ごくごく普通の親が子供を心配するように、アルフィノへの愛情は実の親と同じような目線でいたと思います。

子供の幸せを願う素敵な第一世界のお母さんですね✨

このシーンは本当に涙無くして見られませんでした。

ドゥリア婦人は最初からおっとりしていた方だったけど、他のユールモアの人たちとはどこか考え方とか雰囲気も違っていたんじゃないかと思います。

バウスリーに歯向かった時も、ただただアルフィノたちが処断されるのではないかとそちらの方の心配をしていたのではないかと…。

 チャイ夫妻は本当イイ人たちです!

再び第一世界へ渡る手立てが確立できた時、アルフィノには真っ先に会いに行って欲しいなと心から願ってやみません。

 セトにアルバートの事を無事に報告してクリスタルを返してあげられてよかったです。

ロールクエストではアルバート一行の話が出てきますが、それぞれの汚名を返上できたことは個人的にも良かったなと一安心しました。

身体は乗っ取られてしまったけれど、魂は今もヒカセンと共に在ります。

大切な人たちの魂と共に、少しずつですがまた冒険を進めて行こうと思います。

 

 

 

 そうそう、気になるNPCのお話も少しSSとして載せておこうと思います。

 結構「ティア」と言う名を付けているヒカセンが多いのですが、この「ティア」と言う名が自由人につける称号と言う事らしいので、冒険者に相応しい称号でもあったんですね。

しかし自由人て意味がある分、恐らくミコッテ族的にはあまりよくない傾向なんだと思いますw

紅蓮編のメ・ナーゴのご家族の集落では集団として縄張りを持ち、そこで狩りをして暮らしていますから、ミコッテ族は総じて同じ集落で暮らす仲間を家族と呼んでいるようです。

グ・ラハが将来的に「ティア」を捨てる日が来るのでしょうか…。

 

 アゼムに関してもウリエンジェが少し話してくれましたが、過去においてアゼムがアジム・ステップに降り立っていたと言う証拠になり得るかもしれない貴重なお話でした。

アゼムに似た響きがどれも「陽」を意味していたとするならば、この「陽」が未来へ向けた輝かしい日々と言う「陽」なのか、それともその大地を照らす「陽」と言う意味なのか…。

アゼムが各地を巡り争いごとの解決などに尽力していた事は確かなので、種族同士の仲介者としての立場もあったのかなぁ?

今のヒカセンと同じような感じだとすれば、その時代における救世主として見られていても不思議じゃない。

 

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